それは、生体の内部のみを整えるというのではなく、場の生命力を高める手法も視野に入れた考え方でもあります。地球上には生命の営みに癒しと輝きを与えることのできる場が存在します。それは「いやしろ地」と呼ばれてきました。反対に体調を阻害し、不吉な出来事を誘発し、不幸や災いを招きやすい場もあります。これは「けがれ地」となづけられました。「いやしろ地」と「けがれ地」、この2つの相反した場が、人類の営みの歴史性を生んできたのです。西洋の戦いの歴史は、病気の歴史でもありました。「けがれ地」に野営した側の兵士は大半が伝染性の病気にかかり戦力を落とし破れていきました。実践以上に勝ち負けは「場」の力が左右したのです。国の首都の移転も「いやしろ地」を求めての行動そのものでした。我が国でも平城京から長岡京、更に平安京に移っていった歴史の裏には、藤原氏の人々が原因不明の病で次々と亡くなっていったという状況がありました。それ以前に平城京の貴族達は奈良という地を「いやしろ地」にすべく、膨大な費用を投じて東大寺の大仏殿をつくったのです。フリーメイソン達が特殊な技術を封印しながら、ヨーロッパの都市建設のすべてを一手に担い、神が降りる、日本的にいう「いやしろ地」を構築することによって国をおこし、逆に「けがれ地」にしてしまうことによって国を亡くしてきたという歴史を冷静に見つめるべきです。
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