医療に光を、まちに輝きを、健康でいきいきと生きるための、知恵と術を授けてくれる「院」とは何かについて
映画に出てくるヨーロッパやアメリカの病院に感じられるスペースの広さや、快適さに比べて日本の病院はなぜこんなに狭く質素なのでしょう。
事故の処理と怪我人のケアの為に、AMBULANCE という文字の入った救急車から降りてくる人々の動きはスピーディで、なぜあんなにも頼もしく見えるのでしょう。
それにも増して北欧の高齢者施設の文化レベルの高さは、日本と比べると100年以上進んでいるように見えます。
この国は、本当に世界第2位の経済大国の地位を経験したのでしょうか。
経済力に比べて、なぜこんなに医療と福祉の環境が貧しいのでしょうか。
団塊の世代が5年経つと60代にさしかかります。
空前の60代人口のシェアの高い社会が出現します。
現役で頑張っている人もいるでしょうが、誰もが何らかの体調不良を訴えているでしょう。 その頃には、現在の病院のベッド総数では到底足りなくなっているでしょう。
それ以上に心配なのは、今日の病院がその頃人々にどれだけ信頼を得る状況にあるかということです。
抗生物質が効かなくなっています。
1942年、抗生物質の Cymos を認識し、 対応力をつけてしまっているのです。
結核は世界中で増え続けています。 抗生物質の新しい原料を探しに人類は海の毒素を発掘しようとさえしています。
陸では、薬草や石が見直されるでしょう。
しかし、今日の医療の仕組みが変わらない限り、いくら素晴らしい海からの薬も、 薬草も薬石も医療の現場では使えないでしょう。
人々は、病院を安全な場と考えにくくなっています。
すべて検査の結果を第一として投薬と点滴と手術を繰り返すのみの病院に人を癒す心が消滅しているとさえ感じています。
イスラエルから東京へ来て、 長期滞在している女性は、日本の医療レベルを観て、 自分の眼を疑ったといいます。
これほどの経済力を持つ国が、 なぜ、こんなに貧しい医療システムしか持てないのか、と考えたのです。
イスラエルの病院の施設と医療システムのレベルは世界的に観ても優秀です。
彼女は、日本の病院には行きたくないという意志を明確に表明していました。
肝癌で細菌毒素が急増して、 死の瀬戸際に迄、辿っていた48才の女性が、 インドのアーユルヴェーダの技術と電磁波を逆転させた光線、薬石水、本人の体内情報をインプリントしたエキスを薬草石比調合水に1000分の1入れて、 飲むといった療法で奇跡的に回復し、病院側を驚かせました。
外出し、外食をし、自転車で自宅を往復するまでになった時、当初、よくもって10日か20日と言っていた病院の診断は6ヶ月は大丈夫と変わってきました。
家族や知人との3泊4日の自宅での滞在を終え、最後の検査の為に病院に戻るということになりました。
そして7日後、急死しました。
細菌毒素が脳に回ったのです。
細菌毒素は数々の病院以外のケアで徐々に沈静化していました。
そこへX線が当てられたのでしょう。
西洋医学の限界です。
細胞は悪性の光線と振動で急速に衰え、活動を止めてしまうのです。
このようなことは日常でおこっているのでしょう。
では、本来病院という存在を社会の中でどのような位置付けで見ればいいのでしょう。
急な身体的不調を感じた時、 近隣にどのような場があるべきなのでしょう。
全てを病院が吸収してしまうような状況は避けなければなりません。
又、病院側もそんなキャパシティは持っていないことを自覚しています。
大家族が消え、親から子へ、祖父から孫へといった日常のケアの知恵の伝承が途絶えている今日に心と身体の不安を浄化、 再生する時空間づくりをひとつひとつのまちを単位とした環境の中に作り上げなければならないと思います。